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| 脳梗塞の母を介護中に、父が痴呆に。 父の後を追うように母も逝ってしまった |
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| 長野県松本市/上條澄子さん(47歳) | ||||||||||||
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母親が倒れてから半年間、リハビリの結果は良好だった。しかし廊下で転んで大腿骨を骨折してからはリハビリも無理の状態となった。自宅で介護することにした。 「母は体も軽く、清拭やおむつ交換、お風呂に入れることなど比較的楽でした。父も元気だったし、車椅子からベッドに移す作業は父の仕事でした。夫も子どもも手助けしてくれましたし、家族皆で助け合えば大丈夫という気持ちでした」と上條さん。 子どもの大学進学による引っ越しや葬儀の手伝いのときなど、年2回ほどショートステイを利用した。経済的なことを考えて、思い切って自営の道を選んだ。何とか家族で協力し合って乗り越えようという決意だった。しかし父親の呆けの症状はショックだった。 「朝起きたら、母が言うんです。おじいちゃんが一日中ハッピをたたんでいたと。それからだんだんと症状が進み、怒りっぽくなり頑固になってもきました。お金を持たずに買物に行ったり、他人の家を自分の家だと言い張るなどの行為が目立つようになりました」 1993年ころからはさらに症状が重くなった。母親を寝かせるのが仕事だったのだが、動けない母親をベッドから下ろし、ふとんも掛けずに放置することもあった。そこいら中におしっこをするし、こたつの中に大便があったり、もうどうしようもない状態となった。ストレスも極度となった。何よりも母親が危険だ。 上條さんは市の高齢者福祉課に連絡。待機中のお年寄りが多い中、最優先で特養ホームに入所が決まった。しかしそれから3週間後、肺炎を患い、4か月後、あっけなく病院で息を引き取った。母親をショートステイに預けた2日後のこと。すこし呆けてきた母親に父親の死は言えなかった。上條さんは「父を預けるのはつらかった。こんなに早くダメになるなら家で看取りたかった」と少し後悔している。 翌95年、ショートステイ中に食べ物が喉に詰まったのが原因で、病院で母親は亡くなった。
「医療と介護福祉の橋渡しをしてくれて、ものすごく助かりました。一番たいせつなことは、悩み事があったら何でもすぐに相談することです。聞かない限り相手の人も何を悩んでいるのかわからないのですから」 病院には訪問看護サービスがあり、院内の在宅介護支援センターのケースワーカーは、公的サービスなどの手続きをはじめ、さまざまな相談に応じてくれた。
「いろいろあったけれど、いま思えば本当に大変だったのは、父の痴呆が重くなった2年間。父と母の優しさを忘れないでいたい」 一番の楽しみは、ショートステイ中に一人で大浴場に行くことだったと話す上條さん。両親を看取って2年、ようやく二人がいないことに慣れたという。97年の2月から始めたインディアンハープにいま、ハマッている。
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