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| 幼少時から歩行不全だが親戚・近隣・ 公的サービスで、自宅での独居を貫く |
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| 京都府京田辺市岡田ハマさん(77歳) | ||||||||||||||||
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ハマさんの障害と闘う力は筋金入りだ。ごく幼いときから小児麻痺で歩行が苦手だったハマさんは、学校へ行っていない。しかし、祖父が普寺村の村長で、集落のリーダーを務めた人だったから、自宅で文字などは習った。 「若いころは、山を越えて隣りの集落まで手内職の仕事をもらったり届けたりしていたよ」 と、ハマさんはいう。内職の荷物を腕に下げ、竹の杖2本にすがって、いまどきの都会人ならすぐにも音を上げるような起伏の激しい山道を数キロ、何時間もかかって往復したというのだ。ハマさんの家のある高船地区は山の斜面にあり、ほとんど平地というものがない。たとえ隣り合う家でさえ、見上げ、見下ろすほどの上り下りのある道でつながっている。 「坂に慣れてるさかい、坂は平気や。坂ぐらい恐がってたら、生きていかれへん」 ハマさんはそういって屈託なく笑う。
「たいしたことはしていません。ただ、たまたま近所だから…」 ことば少なくこう語る民生委員の岡田さん。 「岡田さんのほうがずっと私よりまめに見に来てくれはるからありがたい」 と、親戚の向井さん。親戚とはいえ幸子さんは、ハマさんのいとこの息子の嫁だ。ヘルパーの桝井さんや、長年ハマさんを看てきた社会福祉協議会の係長でコーディネーターの林さんも、ヘルパーがいかない曜日や時間帯にも、たびたびのぞいてくれる人たちがいて助かっていると、地域に感謝している。 週3回訪ねてくれる移動商店もハマさんにとって大きな楽しみ。パンや果物など大好きなものを買い、専用のノートにつけておく。支払いは月に一度。ほかの人は移動商店の車の所まで行って買い物をするが、ハマさんには、いつもケースいっぱいに商品を載せてわざわざ家の中まで持ってきてくれる。
今年3月までは、トイレは別棟だった。しかし、次第に歩行が困難になり、トイレへ行く途中で失禁などが出始めた。ちょうどそのトイレが故障したのを機に、市が、家の中にポータブルトイレを据え付け型で置いた。もちろん、手すりなどの補助具もつけた。 毎日、だれかが訪れたり、デイサービスへの参加などでハマさんの交際範囲は飛躍的に広がった。 当初、集団生活を嫌ったハマさんも、いまではすっかり慣れた。みんなといっしょに体操をしたり歌も歌うようになった。自分中心だった考え方から、いまでは周囲のことを考え、社会的な判断もできるようになった。 「明るくて前向き。心配性ではないのがいい。何かあってもそのときはそのとき、きっとまた、うまいこといくわと、いつも言うてはる。老後はこうして生きていかなあかんのやなと教えてもらってるようです」 と幸子さんが言うように、ハマさんにはじめじめした影が微塵もない。 ここまでくるたびに、かえって自分たちが勇気づけられると林さんも言う。ハマさんが、どこよりも好きなこの自分の家で少しでも長く暮らせるように、近隣と公的なサービスが手を組んでいる。
昨年、市制を敷いた京田辺市は、それを契機に福祉行政も大幅に見直し、ホームヘルパー事業は全面的に社会福祉協議会に委託された。ハマさん宅へのヘルプサービスの内容は、家事全般、清拭、爪切り、散髪、トイレの清掃、室内外の整理整頓などが含まれる。 この日も、せっかく写真を撮るからと、桝井さんはハマさんの髪を器用に刈った。京田辺市のヘルパーはみな、先輩から後輩へと伝えられる独特の道具と刈り方でカット上手だという。 「きれいになったか? トイレも付けてもろたし、この家がいちばんええわ」 元気にハマさんがそう言っている間は、きっと、たくさんの善意と社会的サービスによって、その望みはかなえられるだろう。市内に住む独居の障害者のうちおそらくもっとも重度というハマさんの明るい表情が、それを支える多くの人を逆に勇気づけている。そんなすばらしい関係を、当り前のように続けられる近隣社会が、高船地区にはまだ、生きている。
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