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| 私だけだったら共倒れだった。 皆さんに感謝しています。 |
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| 山梨県甲府市/野沢清子さん(70歳) | ||||||||||||||||||||||||
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玄関とお風呂(むきだしのバスタブだけが置いてある)など六畳ほどのスペースと、六畳の居室スペースの小さな平屋が赤松さんのお城。こたつに足を入れ、食事をしたり、おしゃべりしたり、歌ったり、座位のまま過ごすことがほとんど。夜はそのまま眠りに就く。ずっと一人暮らしだ。 訪れると、いつもの顔ぶれと違うことに戸惑ったのか、「ばかは嫌いだ」ときついことばを浴びてしまった。「おたくはどなたさんですか」と何度も聞く。介護に付いている姪の野沢清子さんと甲府市社会福祉協議会のホームヘルパーの早川洋子さんにも「べらべらしゃべってないで黙りなさい」「私は世話してもらわなくてもいい」「二度と来るな」と悪態をつく。ほとんどコミュニケーションがとれない。 それでも付けっぱなしの小学唱歌が入ったカセットテープからお気に入りの歌が流れると、体を揺らし気持ちよさそうに大きな声で歌う。「十五夜お月さん」「月の砂漠」など。それもそのはず赤松さんは定年まで市内の小学校の音楽教師だった。歌は活力の大きな源泉だ。 一人では歩くこともできず、排泄もできない。口を利くことはできるが判断力や思考力に難がある。でも、三度の食事は自力で大丈夫なのが何よりだ。
平成6年ごろから状態が悪くなり、野沢さんが付きっきりで介護するようになった。気の強い赤松さんとの衝突もしばしば生ずるようになった。何の情報も得られず、悪戦苦闘の日々が続く。 「このままでは二人とも共倒れになる」と野沢さんは感じた。そんな折、たまたま指のけがで共立病院に行くと、在宅介護支援センターの張り紙に出会った。先に明かりが見えた。 さっそく相談すると、病院や施設にお願いすることも可能だという。しかし、赤松さんは断固として拒否した。結局、共立病院の訪問看護ステーションで対応してもらえることになった。平成8年6月、赤松さんに甲府市社会福祉協議会のホームヘルプサービスが開始された。甲府共立在宅介護支援センターが中心となり、赤松さんの介護支援プログラムが検討されてきたが、ホームヘルプの必要性が高まったからだ。介護する野沢さんも高齢で、体力・気力も限界に来ていた。週2回のホームヘルパー派遣が実施された。
「感情面の起伏が激しく、気が向かなければ身の回りの世話をさせません。大声で悪態をつき、つばを吐きかけ、たたいたり、かみ付いて抵抗しました」「立つ訓練をするため、おむつ交換時には悪態を付かれながらもこたつに両手を着いた立位でリハビリパンツを履かせるのですが、肉体的にも精神的にも負担が多く、二人一組で訪問していました」「話しかけると怒り出します。担当の私は毎日のように通わなければならず、気が重い日々が続きました」 神宮寺さんはお互いのストレスを和らげるため、さまざまな工夫を試みた。「帰れ! 二度と来るな」と怒鳴られるたびにいったん挨拶をしてその場を去り、2〜3秒後に再び訪問。同一人物と気付かない赤松さんは急に上機嫌になり「あなたが来てくれて良かった。いま変な人が来て困っていたんですよ」と快く迎えてくれる場合があること。訪問中、数回繰り返すこともあった。もう一つの試みは、赤松さんがお気に入りである共立病院の理学療法士の先生に頼まれて介護していることを告げること。優しい表情、穏やかな態度になるケースが多かった。嘘をついた後ろめたさがあったが、赤松さんの気持ちを和ませることが大切だった。また「もう少し居てください」と引き止められたときは、「職員会議がありますから」と言うと、快く帰してくれたという。元音楽教師というプライドがある証拠といえる。神宮寺さんたちの試みの末、つばを吐くこともなくなり、ホームヘルパー一人で対応できるようになった。
野沢さんは、毎日の洗濯が日課。汚れ物と洗濯済みのものを交換する。食事は、夕食の配食サービスを含めて、朝昼晩、近所の食料品店の飯田幸江さんが赤松さんに届けている。声をかけたり、ちょっとした世話もする。お店が休みの日は野沢さんの担当。特記したいのは、野沢さんが赤松さんの通帳管理を飯田さんに託し、飯田さんが快諾したことだ。食料や日用品は飯田さんのお店で調達し、金銭管理も引き受けている。そこには野沢さんと飯田さんとの深い信頼関係がある。 こうして赤松さんは多くの人に支えられ、悪態を付きつつ今日も元気だ。
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