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| 自分らしく生きるために、介護の犠牲にはなりたくない | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 長野県高森町/矢澤敦子さん(57歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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母親を助けたいとの一心から、医師を志した敦子さんだが、大学では社会福祉を勉強。卒業後、社会科の教師として赴任した女子高校で、同僚の篤さんと出会い、結婚。長男の出産を機に、家庭に入る。そして、次男にも恵まれた昭和55年、今度は脳血栓で75歳の実父が倒れた。 「当時、私たちは伊那市で所帯を持っていましたが、父の再婚相手が父を看るのをいやがったこともあり、妹といっしょに介護をしました。また、自宅に引き取った時期もありました。父が入院中には、私が付き添い看病のため三日三晩留守にしたり、妻の親を引き取ることなど珍しかった時代に、かなえてくれるなど、夫はいろいろと協力してくれました。そのときには、夫の両親が倒れたら、今度は私が看なくてはとの思いを強くしたものです」 看病のかいもなく、翌年、実父は他界。同じ年に篤さんの転勤により、高森町の現在地で農業を営む篤さんの両親と同居することになる。
「同居ということで、玄関を別にしたり、お互いの生活には干渉しないようにしようと考えたのですが、そうはうまくいきませんでした」 大正生まれの篤さんの両親にとって、「子どもや嫁は、自分の思いどおりになるもの、すなわち所有物」という意識は強い。ましてや、二人は近所でも評判の働き者。起床は午前4時、就寝は12時を過ぎることも珍しくない。嫁の敦子さんにも、同じように働くことを強く求める。 そこで「農家での働き方を知らない私は、目いっぱいに働いて寝込むこともしばしばでした。このままではバテテしまう」。経済成長期でもあり、働けば働くほど、お金が入り、それも楽しみであった二人と、敦子さんとの溝はますます深まっていった。 こうした中、敦子さんは「家を出たい」とまで、考えるようになっていた。 「生徒たちには、何かを変えようという強い意志があれば、変えられると教えていた私でしたが、身近な二人の意識も変えられないことに無力感を感じたのです」
この事件の2年前から人工骨頭を用いていたなをさんだが、医師から禁止されていながらも、無理をおして農作業はもちろん、老人クラブの活動に積極的に参加するなど、なんらそうした徴候がなかっただけに、敦子さん、篤さんにとっては晴天のへきれきの出来事だった。 ところが、悪いことは続くものだ。なをさんが入院中の翌年2月10日、今度は義父の久さんが、高熱と痛みで入院する。原因はわからず、一年間にわたって検査と手術が繰り返された。その結果、胆石の化膿によるものと判明した。
「このままでは、われわれの生活もだめになると思いました」(篤さん) そんな折、飯田市の脳神経外科病院が、高森町に老人保健施設「円会センテナリアン」をオープンした。まさに、助け船と、まずは退院したなをさんが、入所した。最初はいやがっていたなをさんだが、冬は全館暖房で暖かく、さまざまな行事を通じて友だちができたこともあり、次第にそこでの生活を楽しみにするようになっていった。 続いて、退院した久さんも、いったんは自宅に戻ったが、「おばあちゃんの所に行きたい」と言い、二人は同じ部屋で入所生活を送るようになった(現在は、久さんが、なをさんの面倒を見るのを苦と感じるようになり、それぞれが別々の4人部屋に入居)。
「このローテーションが、お互いにストレス解消となり、うまくいっているのかもしれません」 保守的といわれる農村地帯だが、「二人を介護して、農業を続けるのは無理」と、近所の人の目も入居には好意的で、矢澤さん宅の様子を見て、自分のところも老人を入居させた家庭もあるという。 一方、二人が倒れたことで、敦子さんの考えも大きく変わった。 「子育てが終わった人間はみんな同じ。人生のゴールを目ざして、それぞれが走っているのです。二人には二人の道があり、私には私の道がある。なにも犠牲になることはない。ただし、せっかく近しい関係になったのだから、看てあげられることは看てあげ、自分は自分で好きなことを精一杯していこう、と考えるようになりました」 こうして、敦子さんは以前にもまして、「高齢社会をよくする女性の会」などの活動に積極的に参加するようになった。海外での研修ツアーや会議にも、毎年のように参加している。 「二人の人生を見ていて、多くのことを学びました。どんなにいい機械でも、酷使して、手入れを怠っては使えなくなってしまいます。人間も同じ、働きすぎた二人には、いま、そのつけが回ってきたのでしょう。自分の生き方は、自分で責任を持って、死ぬときに納得がいくかたちで幕を引きたいと思います」 食事の際、篤さん、敦子さん夫婦は、「どうやって死ぬか」ということが話題にのぼることが多いという。そこでの結論は、「その人の生き方は、死に方につながる。いまを、大切に」 介護という問題に直面したとき、問われるのは、どのような方法を選ぶにせよ、自分自身の生き方なのかもしれない。
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