BetterCare

 
自分らしく生きるために、介護の犠牲にはなりたくない
 長野県高森町/矢澤敦子さん(57歳)

 

  10歳で看護を経験

矢澤篤さんと敦子さん。結婚の際、役割分担をして家事も手伝うと話し合ったこともあり、敦子さんが不在のとき、篤さんは洗濯などを積極的に行う。久さんが在宅時には、尿管カテーテルの清掃も、篤さんが一手に引き受ける
「私は介護するために生まれてきたのかと、時々思うことがあります」と語るのは、矢澤敦子さん。彼女が10歳のときに実母が心臓弁膜症で倒れ、以後5年間もの間、家の掃除、炊事、洗濯等に加え、病院・自宅での看護を経験した。

 母親を助けたいとの一心から、医師を志した敦子さんだが、大学では社会福祉を勉強。卒業後、社会科の教師として赴任した女子高校で、同僚の篤さんと出会い、結婚。長男の出産を機に、家庭に入る。そして、次男にも恵まれた昭和55年、今度は脳血栓で75歳の実父が倒れた。

「当時、私たちは伊那市で所帯を持っていましたが、父の再婚相手が父を看るのをいやがったこともあり、妹といっしょに介護をしました。また、自宅に引き取った時期もありました。父が入院中には、私が付き添い看病のため三日三晩留守にしたり、妻の親を引き取ることなど珍しかった時代に、かなえてくれるなど、夫はいろいろと協力してくれました。そのときには、夫の両親が倒れたら、今度は私が看なくてはとの思いを強くしたものです」

 看病のかいもなく、翌年、実父は他界。同じ年に篤さんの転勤により、高森町の現在地で農業を営む篤さんの両親と同居することになる。

  価値観の異なる両親との同居

ストレス解消には田んぼが一番という敦子さん。二人が倒れてから、農業に積極的に取り組むようになった。田植えの時期など、いろいろとアドバイスする二人は、うれしそうだという。無農薬でつくる5種類の古代米は評判も上々だ
 学生時代に福祉や人権などを学び、高校の授業でも生徒たちに、女性の人権について熱っぽく語っていた敦子さんだが、ここで現実の壁に直面する。

「同居ということで、玄関を別にしたり、お互いの生活には干渉しないようにしようと考えたのですが、そうはうまくいきませんでした」

 大正生まれの篤さんの両親にとって、「子どもや嫁は、自分の思いどおりになるもの、すなわち所有物」という意識は強い。ましてや、二人は近所でも評判の働き者。起床は午前4時、就寝は12時を過ぎることも珍しくない。嫁の敦子さんにも、同じように働くことを強く求める。

 そこで「農家での働き方を知らない私は、目いっぱいに働いて寝込むこともしばしばでした。このままではバテテしまう」。経済成長期でもあり、働けば働くほど、お金が入り、それも楽しみであった二人と、敦子さんとの溝はますます深まっていった。

 こうした中、敦子さんは「家を出たい」とまで、考えるようになっていた。

「生徒たちには、何かを変えようという強い意志があれば、変えられると教えていた私でしたが、身近な二人の意識も変えられないことに無力感を感じたのです」

  義母、義父が相次いで入院

トイレも車椅子で入れるように段差をなくし、手すりも付ける工事をした
 そんな矢先の出来事だった。平成4年の12月16日、寒さも厳しかった日の夜、義母のなをさんが、外出先から帰ってきた玄関先で、脳卒中で倒れた。小さいころから病人が身近にいたこともあり、病状にくわしかった敦子さんは、とっさに脳卒中と判断、隣に住む医師に応急処置を頼むとともに、救急車を依頼。幸い、なをさんは、手当てが早かったこともあり、一命をとりとめた。

 この事件の2年前から人工骨頭を用いていたなをさんだが、医師から禁止されていながらも、無理をおして農作業はもちろん、老人クラブの活動に積極的に参加するなど、なんらそうした徴候がなかっただけに、敦子さん、篤さんにとっては晴天のへきれきの出来事だった。

 ところが、悪いことは続くものだ。なをさんが入院中の翌年2月10日、今度は義父の久さんが、高熱と痛みで入院する。原因はわからず、一年間にわたって検査と手術が繰り返された。その結果、胆石の化膿によるものと判明した。

  新設の老人保健施設に入居

矢澤久さんとなをさん。長い間、入所、通所をしている「円会センテナリアン」は自宅同然にくつろげる場所。自然と笑いも生まれてくる
 二人の入院により、敦子さん、篤さんの生活は、一変した。二人の介護を同時にしなくてならないのだ。とはいっても、篤さんには教師としての勤めがある。自ずから、負担は敦子さんのほうにより重くのしかかる。

「このままでは、われわれの生活もだめになると思いました」(篤さん)

 そんな折、飯田市の脳神経外科病院が、高森町に老人保健施設「円会センテナリアン」をオープンした。まさに、助け船と、まずは退院したなをさんが、入所した。最初はいやがっていたなをさんだが、冬は全館暖房で暖かく、さまざまな行事を通じて友だちができたこともあり、次第にそこでの生活を楽しみにするようになっていった。

 続いて、退院した久さんも、いったんは自宅に戻ったが、「おばあちゃんの所に行きたい」と言い、二人は同じ部屋で入所生活を送るようになった(現在は、久さんが、なをさんの面倒を見るのを苦と感じるようになり、それぞれが別々の4人部屋に入居)。

  生き方は死に方につながる

老人保健施設「円会センテナリアン」は、5,000坪という広大な敷地内に設けられている。入居の場合、基本料金は1日1,750円。通所の場合、基本料金は1日1,100円
 もちろん、老人保健施設だけに、長期入居というわけにはいかない。一般入居(3か月が限度)、ショートステイ(2週間が限度)をうまく組み合わせ、1年に5〜6か月間入居し、残りは、週3回のデイケアを利用して、自宅で介護している。

「このローテーションが、お互いにストレス解消となり、うまくいっているのかもしれません」

 保守的といわれる農村地帯だが、「二人を介護して、農業を続けるのは無理」と、近所の人の目も入居には好意的で、矢澤さん宅の様子を見て、自分のところも老人を入居させた家庭もあるという。

 一方、二人が倒れたことで、敦子さんの考えも大きく変わった。

「子育てが終わった人間はみんな同じ。人生のゴールを目ざして、それぞれが走っているのです。二人には二人の道があり、私には私の道がある。なにも犠牲になることはない。ただし、せっかく近しい関係になったのだから、看てあげられることは看てあげ、自分は自分で好きなことを精一杯していこう、と考えるようになりました」

 こうして、敦子さんは以前にもまして、「高齢社会をよくする女性の会」などの活動に積極的に参加するようになった。海外での研修ツアーや会議にも、毎年のように参加している。

「二人の人生を見ていて、多くのことを学びました。どんなにいい機械でも、酷使して、手入れを怠っては使えなくなってしまいます。人間も同じ、働きすぎた二人には、いま、そのつけが回ってきたのでしょう。自分の生き方は、自分で責任を持って、死ぬときに納得がいくかたちで幕を引きたいと思います」

 食事の際、篤さん、敦子さん夫婦は、「どうやって死ぬか」ということが話題にのぼることが多いという。そこでの結論は、「その人の生き方は、死に方につながる。いまを、大切に」

 介護という問題に直面したとき、問われるのは、どのような方法を選ぶにせよ、自分自身の生き方なのかもしれない。


高森町の介護環境



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