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百人百色の介護 「鬼の気持ちでは親は見られないよ」
と実母が言った。
家族の会の仲間や近所の人のも支えられ、
光さんとの暮らしは11年目を迎えた
 北海道千歳市/加藤澄子さん(66歳)

 
光さんは私を嫌いだから嫌がらせをしてるんだね
  特別養護老人ホーム暢寿園での光さん(85歳)。施設長・鎌田さんの「ここは人生最期の場。最期の看取りも含めて、人間としての喜びを大切に、人間らしく生きるお手伝いをしています」と話す。光さんは今回少し長めのミドルステイ。撮影のため、スタッフの手を借りてちょっとお召し替えをしてみた

 2001年の正月明け早々、光(つや)さんは、市内唯一の特別養護老人ホーム暢寿園でのミドルステイから、澄子さん一家の待つ自宅に帰った。2000年夏に、主たる介護者である澄子さんが腕を骨折してしまい、介護ができなくなったのだ。

 同居は11年目に入った。もともと、光さんは、伊達市で夫と二人で暮らしていた。隣家には結婚した娘一家が住み、澄子さんと夫の正さんは、時折訪ねるという関係だった。それが、1990年、父親が癌でなくなると、光さんをどうするかが兄弟の間で問題になった。というのは、その前から少し光さんの言動には異常が見受けられ、一人暮らしをさせるには心配があったからだ。

 「あとから考えたら、ご飯もきちんと炊けなかったり、近所の美容院でちょっとおかしいと言われたこともあったけれど」と、澄子さんはそのころを振り返る。だが、当時、隣家の妹一家も、離れて住む弟一家も、子どもなどの事情で引き取れないという。「長男の嫁だから私が看るって、啖呵を切ってしまったの」

 そして、その後の暮らしは、当の澄子さんには想像もできないものになった。

 「どうしても養老院には行きたくない」と光さんがいうので、その6月には千歳市の自宅に連れ帰った。だが、光さんは失禁も始まっていた。また、当時、澄子さんは勤めていたので、光さんに昼食用の弁当をつくっておいていったが、光さんはそれを食べずに、電気釜の中のご飯や冷蔵庫のものをすべて食べてしまう。そんなことをしているうち、血糖値が上がって医師からも注意を受けたので、冷蔵庫に鍵をかけたところ「姉(澄子さんをそう呼んでいた)は私になにも食べさせない」と、家にくる人ごとに訴える。事情を知らない人は驚いてしまう。ある日は、どうもぐり込んだのか、流し台の下の下水用配管を抜いてしまい、澄子さんが帰宅したら台所中、水浸しになっていた。また、どう思ったか、水着に着替えていたこともあり、また、トイレの水洗がおもしろいと言って、一日中、流していたこともあった。

 それでも澄子さんは「私のほうに痴呆という知識がなかったから、なんでこんなことばっかりするんだろう、私を嫌いだから嫌がらせをしているんだろうかと思っていました」という。

 6月下旬のある日、それまでにも近所にも事情を話し、協力を頼んであったので、協力して探し回ったがどこにもいない。ようやく、近くの大木に下にうずくまっているのを見つけたのは夕方のことだった。骨折でもしているのかと病院に連れていき、リハビリ施設を持つ老人保健施設に入所させた。そのとき初めて、老人性痴呆症ですよといわれた。


 
子どもは誰でも、親を看たいもの。どうせ看るなら気持ちよく…

「なんだか愚痴ばかりになっちゃって」というが、澄子さんの明るい口調からは、愚痴には聞こえない。苦労話もさばさばと語る  

 痴呆症といわれはしたが、それがどんな病気で、どう対処すべきかは、相変わらず、知らないままだった。入所中に脳梗塞発作を起こし、左半身麻痺が残った。澄子さんは毎日、自転車で見舞いに行っては世話をした。たまに見舞いに来る弟夫婦などには、「ここはとてもいいからずっとここにいる」と話す光さんは、澄子さんには「周りの人にいじめられるから、早く帰りたい」と言い続ける。いったいどちらなのかと、澄子さんは苛立った。そして4か月後くらいに、これ以上はリハビリ効果も上がらないからと、退所の勧告を受け、翌年正月明け早々に、光さんは自宅に戻った。

 だが、退院1か月で、澄子さんは光さんとの闘いに疲れた。ストレスから、澄子さんの血圧は230以上にもなり、尿に糖も出るようになった。「でも保健婦さんに救われたんです。あの、苦しい時の保健婦さんの親切は、いまでも忘れることはありません。心から感謝しています」

 退院前から相談していたので、保健婦さんは退院の翌日には早速きてくれた。光さんの症状の説明をし、対応策や心構えを教え、こまごまとした相談にも乗ってくれた。このときの保健婦さんは、澄子さんの窮状を見かねて、普通10日に一回程度の訪問を、ほとんど毎日、仕事の帰りのちょっとした時間でも、必ず顔を出してくれた。

 そのころ、光さんは錯乱状態で、地獄だったという。排便したおむつに手を入れてはあちこちに擦りつける。ベッドから落ちるので、柵を付けたら柵の間に頭を突っ込む。朝は5時前から起きて、動くほうの右手であちこちかきまわし、澄子さんが起きるころには家中がひっくり返ったようになっていたりした。

 「それでも、お父さん(=正さん)がいると、コロッと態度が変わって、すごくいいおばあちゃんになるんですよ。それがまた、悔しくて」

 同居していた澄子さんの息子や結婚した娘も手伝ってはくれたが、やhり澄子さんの負担は大きい。「そのころは光さんと呼んでいたんですが、光さんは私のことを怒ってばかりいるから嫌いだというし、私は私で光さんを大嫌いだと、だれにでも言っていたんです」

 体力的にも精神的にも限界だった。

 思い余って実家の母に親に泣きながら相談をした。「母は、お前が興奮すればするほどお義母さんも興奮する。お前が穏やかに接すればお義母さんも変わる。子どもはだれでも、親を看たいと思うものだよ。鬼の気持ちでは看られないよ。もっとゆっくりした気持ちにおなり。怒ってもどうせ看るのなら、気持ちよく看ておやりよって言ったんです」

 考えて、3月には光さんを病院に入れ、ちょうど職場の友人たちに誘われていたアメリカ旅行に出かけた。4月上旬には、四国のお遍路さんにも行った。


 
ボケているんじゃないの、生まれる少し前の赤ちゃんなの

 ようやく、気持ちも収まって、澄子さんが見舞いに行くとあれほど悪口雑言を言っていた光さんがおとなしい。「あんなに私を嫌いだって言っていたばあちゃんが、私をジッと見つめている。その目が『帰りたいよ』と言っているのがわかったんです」

 そこで、4月下旬には連れ帰った。だが、帰れば再びけんかの日々。光さんのベッドは通りに面した窓際にあったから、寝ていても外を人は通ると、光さんは大声を出して「姉が私をいじめる」と訴えたりもした。それでも澄子さんは、言い合いながらも光さんを車椅子に乗せて、どこへでも連れて行った。買物に行ったり、天気の良い日は車椅子に乗せて、家の前の日当たりのいいところに光さんを置く。通りがかりの近所の人も、事情を知っているから、「おばあちゃん、元気?」と声をかけていってくれた。

 ちょうどそのころ、千歳市にもぼけ老人を支える家族の会の支部、という話が持ち上がった。

  北海道ぼけ老人を支える家族の会が年に1回発行している「看とりの日々から」にいは、赤裸々な介護者の声がつづられている。これをベースにして北海道新聞社が発行した『ほけさん介護体験記』も多くの人の共感を集めた

 加藤さんの自宅に集まった数人が核となって、94年 1月、千歳市ぼけゆく人を支える家族の会が結成された。「同じような立場の先輩たちから、ずいぶん実際的な指導を受けましたし、精神的にも支えてもらいました」

 現在、北海道ぼけ老人を支える家族の会会長で、当時、千歳の会会長だった長谷川巌さんも、早期退職をして実母を介護している最中で、支部の設立からの仲間だった。「実際に介護をしている家族だからこそわかることがあるんです。それに悩んでいるのは自分だけではないとわかれば、また介護する勇気も出るんですよ」と長谷川さんも言う。

 ようやく、痴呆というものが澄子さんには見えてきた。その後も白内障や心臓の病気で自分が入院するときも、澄子さんは「ばあちゃんはどうなるか心配で」なかなか踏み切れなかったという。

 「でも、私は恵まれているんですよ。困っていたら引きうけてくれるショートステイやデイサービスもあるし、気持ちよく往診してくれるお医者さんや、何かあったらいつでも呼んでねと言ってくれる看護婦さんもいる。あの保健婦さんや家族の会の仲間にも本当に助けてもらいました」

 だから、澄子さんは言う。「うちのばあちゃんは痴呆症じゃないのよ。生まれる少し前の赤ちゃんなんだよ」

 今まで、やむを得ずさせた入院で、手足を縛られたり、 褥瘡(床ずれ)ができたりもした。あんなに食べ物に執着していた光さんが、何も食べなくなってしまったりもした。

 「介護の手を抜くと、確実にばあちゃんの状態に出る」と澄子さんはいう。おしめは絶対に濡れたものをつけさせないし、家が病人臭いのも嫌だから、きちんと、こまめに掃除する。持病を抱えて、今後どこまでできるかわからないけれど、やっぱり最期まで、手元で看取りたいと思う。

 数年前、かくしゃくとしていた実家の母親がやはりぼけて、澄子さんは光さんと実母の二人の介護を引き受けた。ヘルパーさんの助けもあまり借りずに自分で看続けた。いまでも、97年に亡くなった実母が元気なころに教えてくれた、あのことばをよく思い出すという。

 仲のよい友だちは「カッコよすぎるよ」と笑うが、「このごろばあちゃんは静かになっちゃって、けんかばっかりしていたあのころが懐かしい。今はもう、ばあちゃんがいとおしくて、抱いて寝るのよね」

 澄子さんはいつも正直に、なんでも声に出してきた。だからこそ、ようやく辿り着けた、光さんと澄子さんの今の関係なのだろう。


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