BetterCare
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百人百色の介護 介護を家族全員で共有したのが良かった
と思います。
サービスを上手に利用しながら、今では、
仕事も再開しました

 千葉県市川市/木下宣子さん(63歳)

   

一人暮らしの実母を引き取る

  左から、ケアマネジメント研究所ふくろう代表の井手信子さん、木下静孝さん、木下宣子さん

 木下宣子さんが、実母である木下静孝(しずこ)さん(89歳)を自宅に引き取ったのは、1987年のこと。静孝さんは、79年に小学校の教員だった夫を亡くしてからは一人で宮崎県に住み、昔から親しんでいた生け花の先生を務めていた。近所に住む静孝さんの兄や甥、姪っ子たちが何かと世話をしていたという。

 そんな静孝さんに、おかしな言動が見られるようになったのは、83年ころのこと。物忘れが激しくなり、出入りのお花屋さんに一日に何回となく注文の電話を入れるようになった。また、女学校時代の友人たちと旅行した際、自室がわからなくなったこともあった。さらに、お金の管理を兄に頼んでいたが、「お金がない」と二〜三日ごとに「銀行からおろしてください」と頼むようになったという

 症状は徐々に進んだ。「これはまずい」と、85年に宣子さんがいったんは引き取ったものの、当時、家族五人の社宅暮らし、静孝さんも落ち着かず、宮崎と千葉を行ったり来たりの生活が続いた。そして、87年に自宅マンションを購入したのを機に本格的に静孝さんを引き取ることにしたのである。


    孫娘の部屋で排尿

 静孝さんの病名はアルツハイマー型老年痴呆症および微少脳動脈梗塞。当時は宣子さんが保健師の仕事をしていた関係で家を留守にする際、一人で留守番をすることもできた。しかし、洗濯物を干すことを「自身の仕事と思い、しょっちゅう乾いたかどうか点検し、乾くやいなや午前中だろうと取り込んでいた」(宣子さん)こともあった。

20数冊にもなる連絡ノート。排尿、排便、睡眠、水分の摂取などの時間が記録されており、例えばこれを見た者が、時間を見計らい水分摂取やおむつ交換を行うようにしている  

 また、石けんや生の肉を食べたり、化粧水を飲んだりとか、近所に買い物に出かけ、「一人で先に帰って」と別れたのち、行方不明になり、警察に探してもらうこともあったという。

 なかでも、大きかった問題行動が排尿。トイレがわからなくなるので、各人の部屋に名前を書いた貼り紙をしたり、静孝さんの部屋からトイレまでの道順を、矢印で示したりしたが、あるときは宣子さんたちの寝室の布団で、排尿したのち、そのまま横になっていたことがあった。またあるときは、孫娘が夜中に受験勉強をしている部屋に入り、ストーブの横で排尿、驚いた孫娘が「おばあちゃん」と叫ぶと、自身が長い間トイレを占有していたと勘違いし、「ごめん、ごめん」と出ていったこともあったという。

 しかし、こうした状況にあっても、家族は決してパニックになることはなかった。それは、宣子さんが、実母の状況を隠すことなく家族の間でオープンにし、対策を話し合い、痴呆の知識や介護の体験を共有していたからだった。

 前述したように、当時の宣子さんの仕事は保健師。ちょうど引き取る前に、痴呆高齢者ケアの講習を受けたばかりだった。

 「何で私の母が、と思いましたが、けっして怒ってはいけないことなど、習ったことを一つひとつ家族に教えました。あるときなど、怒っている私を見て、『怒ってはだめでしょ』と娘に教えられたほどです」(宣子さん)


    家階段から落ちる
  毎週1回、訪問入浴のサービスを受ける。デイサービス、訪問入浴、ショートステイの費用が毎月2万5000円程度。これに紙おむつが支給分だけでは間に合わないので、1万円弱かかる

 仕事の際、宣子さんは、静孝さんのお昼用にお弁当を用意して、出かけていた。しかし、あるとき、娘さんが宣子さんにこう言った。「おばあちゃんはいつも9時ころには食べているよ」。また、お客さんが来るというので、おやつを用意して外出したが、あとでお客さんに聞くと、何も出なかったという。さらに、宣子さんが午後の早い時間に帰宅すると、玄関の外で宣子さんを待つ静孝さんの姿があった。

 「人のお年寄りのことを見ている場合ではない」。宣子さんが仕事を辞めたのは、91年のことだった。

 しかし、2年後悲劇が起こる。洗濯物を干そうとベランダに出た宣子さんの背後で、大きな音が聞こえた。後ろをついて行こうとした静孝さんが階段から落ちたのだ。すぐに救急車で運ばれたが、全身打撲で3か月の入院、まったく歩けなくなった。退院後は、ベッドで過ごす時間が多くなった。

 そのころ、以前から頼んでいた週一回のデイサービスの順番が回ってきた。通うためには送迎車に乗り込まなければならない。さらに「できる限り外出させて外の空気を吸わせたい」(宣子さん)との思いから、階段に昇降機を取り付けた。また、ベッドから車いすへの移動の介助で宣子さんが膝と腰を痛めたこともあり、アメリカ製のリフトを購入した。いずれも当時としては珍しいものだった。

 車いすを押して、宣子さんは買い物や食事によく出かけた。妹さんとの三人で旅行に行ったこともあるという。

 デイサービスに加え、月二回の訪問入浴も利用した。さらに95年に夫の隆男さんが単身赴任してからは、月一回ショートステイを利用して、赴任地を訪れた。

 当時は税金による福祉の時代。社会サービスへの理解も浅く、積極的にサービスを利用する人は少なかった。それが、ケアマネジメント研究所を設立し、ケアマネジメントの研究を行っていた井手信子さんの目にとまった。宣子さんは、パネリストとして招かれ、自己の体験を発表した。これが、現在、静孝さんのケアマネジャーを務める井手さんと、宣子さんの出会いである。


    ケアマネジャーの仕事をスタート


  94年ころに購入したリフト(上)と昇降機

 介護保険制度がスタートすると、宣子さんはケアマネジャーの資格を取得した。「母のために介護保険を勉強するつもり」という軽い気持ちだったが、やがて仕事とし、担当も増え、忙しくなってきた。週二回妹さんが来てくれる日を利用したり、土曜日の会議のときなど、娘さんや隆男さんが世話をしてくれるが、それでも時間のやりくりが厳しくなってきた。

 そこで、95〜97年の隆男さんの単身赴任時代に利用し、その後使わなかったショートステイを利用することにした。現在では毎月9日間程度利用し、その間に集中的に仕事を行っている。

 「周囲から勧められるままに再開した仕事ですが、生活にメリハリができ、良かったと思います」(宣子さん)

 静孝さんは、小学生のときに実母を亡くし、その後、継母、実父、義父、義母、親戚、友人と、多くの人の介護、看取りをした経験を持つ。

 「きっと、母は『まだまだ私がした分を返してもらっていないよ』なんて、思っているに違いありません。せっせと返してあげなければ(笑)」。宣子さんの笑顔に、がんばらない、上手な介護のあり方を見た。


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