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| 広島県賀茂郡黒瀬町/松尾由美子さん(60歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昨年の大晦日は、松尾家にとっては大変な年越しとなった。松尾文枝さん(88歳)の体温が33度にまで低下し、血圧も一気に下がったのである。緊急入院という事態で新年を迎えることになった。 5月の連休明けには、肺に水がたまり、危機的状態になったが、文枝さんの人並みはずれた強靭な生命力は、これまでどおり、これを乗り越え、周りの心配を杞憂に終わらせた。 しかし、文枝さんはとうとう酸素吸入器の助けを借り、経管栄養のチューブがはずせない身となり、今日に到っている。 「いつお迎えがきてもおかしくはない状態。今は病院におまかせです。とても写真に撮ってもらえるような姿じゃない。しのびのうて。かわいそうだから」と、長男の妻の由美子さんは、文枝さんの撮影を断わった。
由美子さんが、文枝さんの介護にたずさわってから、なんと四半世紀の歳月が経つ。文枝さんは63歳のときに脳出血で倒れた。当時、由美子さんは35歳。以後、由美子さんは、家事や子育てを抱えながら、右片麻痺の文枝さんを看続けた。一口に25年といえばそれまでだが、この長丁場、由美子さんを支えてきたものはいったい何だったのか。
広島市内で税理士事務所を運営している夫の重邦さん(62歳)は、妻の由美子さんによれば、ハングリー精神旺盛な人で、早くして父親を亡くし、母親の労苦を目の当たりに育ってきたこともあってか、母親を思う情の深さには並外れたものがあるという。 「主人は、お風呂は母親と一緒に入りましたよ。あまりにこすりすぎるんで皮膚病にさせたこともありました。きれいにしてやろうとゴシゴシこすったんじゃろうね」と由美子さんが笑うほどだ。 文枝さんのツメ切りは重邦さんの役目。由美子さんにも絶対切らさせない。清拭も自分がいるときは必ず自分でやる。病院も、今では重邦さんが見舞うときには手出しはしないそうだ。 こんな重邦さんを見ていて、「私、しんどいから辞めた」なんてことは、とても言えなかったと由美子さん。夫のこうした必死な姿に引っ張られて、妻としても、嫁としても曲がりなりにもやってこれたのではないかと振り返る。
文枝さんの生活は、病院と施設と在宅の間を行ったり来たりの繰り返しであった。まだ老人医療費が云々されるようなシビアな時代ではなかった。ゆったりした環境があった。冬場の11月ぐらいから年を越えて3月ぐらいまでは病院で過ごし、施設も必要とあらば一週間から10日単位で短期入所することもできた。 当初は助けを借りてどうにか歩行もできていた文枝さんも、ヒザの手術を機に、12年前からはまったく立てなくなり、痴呆の症状もどんどん進行していった。 倒れて以来、オシメを当てていたが、痴呆の重度化とともに、特に家族が振りまわされ、悩まされたのが、毎日の弄便であった。 「正直いって、姑のいる母屋には行きたくなかった。柱、カーペットなどいたる所がウンチまみれでね。しまいには、もうどうでもいいやという自暴自棄な気持ちにもなりました」 この25年の間、文枝さん専用の洗濯機を何台使いつぶしたことだろうか。側を流れる農業用水用の小川で下洗いして洗濯機にかけるが、秋の刈り取りを終えてから春にかけては水は流れていない。そんなときには、近くに住む実母の畑に穴を掘ってもらい、水道を引いてもらって、そこへ流し込む。やはり冬場の、さらに夜中の“ウンチ戦争”は、さしもの由美子さんもこたえた。月明かりで下洗いをしていると、自然と涙が出てきたのが忘れられないという。 こんな由美子さんを早くから、受け入れ、支えていったのが、古くから付き合いのある隣り近所の人たちだったのである。まるでわがことのごとく、文枝さんに振りまわされ続ける由美子さんをフォローしていった。 それぞれが手分けして、火元の消し忘れや水道の蛇口の閉め忘れをチェックしたり、洗濯物を取り入れたりといろいろある。畑で採れた野菜や釣りたての魚、総菜もよくほどこした。また文枝さんが病院や施設に行くときには、必ずだれかが付き添った。車いすに移乗するときには、だれかがかけつけた。 落ち着いて買物や食事の準備にいそしめない由美子さんにとっては、ありがたかった。心細くなる由美子さんにとっては、なによりも心強かった。
「芸は身を助ける」というが、日々の介護ストレスを癒してくれたのが、娘時代からたしなんでいた編物・手芸ごとであった。自宅から目と鼻の先に小さな編物教室をかまえているが、ここが由美子さんにとっては駆け込み寺でもあり、英気を養う場でもあった。 文枝さんからますます目が離せなくなる中、そこの運営は5年前にお弟子さんに委ねたが、いずれ一段落ついたら、この貴重な体験を生かし、高齢社会にふさわしい近隣の人たちの“たまり場”にしてみたいとも考えている。
昨年12月11日、姑の文枝さんが緊急入院するちょっと前に、実は由美子さんは、もう一人の緊急入院にかかわっている。15年来の親交がある、編物仲間であった大島君子さん(64歳)が、突然、脳出血で倒れたが、これまで挨拶程度で、会話らしい会話もかわしたことがなかった君子さんのご主人の、第一報の相手が由美子さんだったことに、正直いって由美子さんはおどろいた。 「一番うれしかったんは、倒れて松尾さんに連絡したら、もう私にいっさい任せてくれと。そのことばがね、ものすごいうれしくってね。絶対によその人に世話さしちゃいけん、言うてね」と君子さんのご主人は言う。 この出来事は、大島夫妻の住む東広島市の比較的新しい住宅団地と、由美子さんの住む地域との温度差を改めて考えさせてくれる。
由美子さんの実母、松村信子さん(84歳)は、すでに80歳を超えてはいるが、すこぶる元気で、独りで自立した生活を営んでいる。その信子さんに、由美子さんはどんな娘だったのかを尋ねたら、こんな答えが返ってきた。 「由美子は小さいときから、やりきりさん、がんぼさんで、一人いる弟(由美子さんとは一歳違い。やはり近所に住む)は、やおいけえ、姉と弟が入れ代わりゃええのにといわれとりました」 “やりきり”“がんぼ”“やおい”は広島地方の方言らしく、それぞれ“がんばり屋、負けず嫌い”“きかん気の子”“やわらかい、やさしい”の意味らしい。東広島市社会福祉協議会主催のホームヘルパー講習三級、二級を一緒に履修した青園さんは、こう証言する。 「何チームかに分かれて役回りを決めて実習するときでも、由美子さんは率先垂範、みんなの先頭に立ちました。三級を終えて二級に進級するときも、『これで止まっとちゃいけん。さあ、いくよ』言うて。ずいぶん奮い立たされました」 講習の期間中、昼休みには、10kmの山道を車を飛ばしていったん帰宅し、文枝さんの食事介助をする。留守中のオシメ交換はヘルパーに任せたものの、食事介助は喉に詰まらせるのが恐いからといって、若いヘルパーがしり込みしたからだ。 「三つ子の魂100までも」か、やはり由美子さんは“やりきりさん”である。どこまでも“前向き”な女性である。 |back| |