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| 大阪府高槻市/松木貞夫さん(70歳)八栄子さん(67歳) | ||||||||||||||||||||||||
八栄子さんの立ち居振舞いは、ちょっと見には介護が必要とはわからない。だが、少し長い時間の立位や歩行は困難だ。段差も不得手で、すぐに疲れる。握力や腕の力もない。 「このあいだ、病気のあとで知り合った方から『かわいらしい方ですね』と言われて驚きました。今までそんなふうに言われたことがなかったから」 と八栄子さんが言うと、夫の貞夫さんも、 「そうだねえ、体の大きな人という印象だったから、かわいいという感じとは違ったねえ」と応じる。 八栄子さんはスポーツ大好き、大柄で活発な女性だった。今ももちろん活発で明るいが、背骨や膝の病気で、身長はずいぶん縮んだ。だから、たしかに大柄な印象はもう受けない。室内をゆっくり移動する姿からは、「自転車の暴走族」と言われたころを想像するのは難しい。 3年前の大きな手術のあと、介護が必要になった。徐々に進行してきたリウマチ治療薬の副作用から肺炎を起こし、その治療のために大量のステロイドを服用した結果、骨粗鬆症になってしまったのだ。ちょっと転ぶともろくなった骨が折れる。 「それに気づかないで、それまでのように自転車を猛スピードで飛ばしていて転んだんです」 八栄子さんの背骨は、いわば前後から支えを入れ、ボルトでつないでいる状態だという。その手術は、3年前の5月に、3週間の間をあけて二回にわたって行った。 「脊椎の手術ですから、ベッドも直角には起こせない。最大でも30度くらい。あっという間に足の筋肉が落ちました。腰も腕も、すぐに筋力が落ちてきて……。ほんま、速いもんですね」 入院中はリハビリに励み、歩くことはできるようになったが、もともとのリウマチも進行し、8月半ばの退院時には、文字どおり箸より重いものは持てなくなっていた。
八栄子さんの実兄である日下部吉彦さん(75歳)は、関西でよく知られた音楽評論家。もともとはジャーナリストだが音楽好きで、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスの館長も務めた。現在も音楽系イベントのプロデュースなどでも活躍している。日下部さんがいつも総合プロデュースを担当している「ウィーン楽友協会ジャパンコンサート――日本の心を歌う」の今年のプログラムには、八栄子さんや、日下部さんの妻・安子さんもメンバーになっていた合唱団「女声アンサンブル アトリエ」が参加することになった。アトリエは、全国大会に大阪代表で出るほどの、実力ある合唱団。練習のレベルも高い。 「でもね、左膝の関節が具合が悪くなって、今年1月に人工関節にする手術を受けたんです。それでなかなか、練習に欠かさず参加することが難しくて、ヨーロッパ行きはあきらめていたんです」と八栄子さんは言う。 そこへ、吉彦さんから誘いがきた。貞夫さんは今年6月に古希(70歳)を迎える。その祝いも兼ねて、二組の夫婦が一緒に、この演奏旅行に参加しよう、というもの。ジャンルは異なるがもともと貞夫さんもジャーナリスト。吉彦さんとは気が合い、仲もいい。 「僕一人だと恥ずかしいけれど、二人なら大丈夫、車いすを押して一緒にヨーロッパへ行こうよ、と誘ってくれた。できない、できないと後ろ向きでいるよりは、何かに挑戦するほうがおもしろいから前向きに考えようと、行くことを決心しました。よく誘ってくれたと感謝していますよ」と貞夫さんは言う。 吉彦さんの妻・安子さん(72歳)は3年前、八栄子さんが入院していたのとちょうど同じ時期に、両乳房の乳がんと、同時に胆嚢も切除という大手術を経験していた。それだけに、その後の体力の快復は手術前のようなわけにはいかず、長時間の歩行は困難で、車いすが必要となっている。安子さんも、今年の練習には出られなかったので、メンバーとして歌うことはできないが、一緒に行くのならぜひ行きたいという。 そこで吉彦さんのいう「連れもってヨーロッパへ行かへんか」ということになったのだ。
ウィーン楽友協会でのジャパンコンサートには、六団体とオルガニスト、ピアニスト、ソロ歌手が参加、うち大阪からは「女声アンサンブル アトリエ」を主体に約60名の大きなツアーだった。それだけに、旅行社とは事前に綿密な打ち合わせをした。八栄子さんも安子さんも、飛行機の昇降は問題ない。機内でも通常の座席で大丈夫だ。ただし、空港内は広くて移動が大変なので、それぞれの空港では空港備え付けの車いすを使った。ヨーロッパの滞在はウィーン(オーストリア)とプラハ(チェコ)の二都市だけ。街なかではホテルが用意した車いすを使った。空港内の車いすは無料。プラハは2日間とも無料だったが、ウィーンのホテルでは4日間で日本円で約8000円ほど使用料を払った。プラハはホテルがもともと持っていた車いすで、ウィーンのホテルはどこかから借りたようなので、その代金かもしれないという。
「ウィーンもプラハも古い街でしょう。道路が石畳なんです。石畳を車いすで行くと、ガタガタ揺れるから乗り心地が悪くって」 安子さんはその振動で傷口が痛いくらいだったという。しかも、有名な観光施設は、眺めのいい高台などにあることが多い。 「あの国の人たちは、だからといって石畳をアスファルトに替えようとは、まったく思わないようですねえ」と貞夫さんはむしろ感心した口ぶりだ。 観光施設への道を車いすで行く間、車いすの人をあまり見かけなかったという。しかしそれは観光施設の入り口ぎりぎりまで車で行かれるので、車で移動する人が多いせいだろうと、貞夫さんは考えている。松木さん、日下部さんの二組の夫妻は、団体旅行のため長い距離はバスで移動していたので、小型の車のようにぎりぎりまで車で行かれず、車いすでの移動距離が延びたのだ。 実際、コンサートや練習の合間に訪れた博物館やシェーンブルン宮殿、その他観光施設はどこも、車いすや体の弱い人への配慮が行き届いていたという。 コンサートの翌日、二組の夫妻は、ウィーンで貞夫さんの古希を祝うテーブルを囲んだ。二台の車いすを押しての旅は、本当に来てよかったと、心に染みる旅になった。演奏会も大成功で、ほとんどドイツ人聴衆で埋められ、評判がよかった。
貞夫さんと八栄子さんは、年齢は少し違うが大学の同級生。貞夫さんが定年になってからは、共通の趣味やそれぞれに趣味を楽しんでいる。貞夫さんは定年後、ドイツ語の勉強を始めた。ドイツ語がある程度話せるようになったらドイツに行こう、というのが二人の計画だった。事実、その準備を進めていて、予定では今年の夏前くらいには、ドイツのミュンヘン近くに家を借りて1か月くらい暮らしてみようと考えて、その家の当たりもつけたところだった。しかし、八栄子さんの膝の手術があり、旅行はあきらめていた。 「ウィーンでもプラハでも英語じゃなくてドイツ語で話しかけると喜ばれてね。僕のドイツ語もまあまあ通じると、うれしくなりましたよ」 実は、3年前の手術のとき、医師に何を目的に手術をしたいかと聞かれた。貞夫さんは迷わず、旅行がしたい、一緒に旅行ができるように治療してほしい、と伝えた。 貞夫さんには、忘れられない経験があった。87年、貞夫さんはくも膜下出血の発作を起こし、手術をして助かった。しかしその間、幻聴、幻覚がひどかった。面会の人たちも怖がるほどだった。その40日間の入院の間、八栄子さんは心配で個室に付き添い、寝泊りして看護を続けた。 「初めて両足を床に着けて立ち上がったときの喜びは、今も覚えています。そのときに、歩いて旅行をしたい、と痛切に思った。旅行をして回れるということは、生きているしるし、と思えたんですね」 日常生活の中で、八栄子さんができないことがいくつかある。それでも、貞夫さんはできるだけ手を出さない。 「手伝って、といったらすぐしてくれるけど、言われない限りは、手を貸さないですね。病院のリハビリと違って、退院後は日常生活がリハビリでしょう。毎日の暮らしの中で工夫しながらしているんですよ」 八栄子さんがお茶をいれてくれた。ポットを押してお湯を出すには、八栄子さんの力は弱すぎる。いちいち貞夫さんを呼ぶわけにもいかない。そこで、八栄子さんは、小さなビール瓶をそばに置き、ビール瓶の底を押し当てて、ポットのお湯を出す。貞夫さんはむやみに手を出しすぎない、けれど、いつも気にかけて見守っている。それは、貞夫さんが大病の経験があり、思うように体を動かせないつらさをよく知っているからだろう。 今回の旅行中、車いすを押しているとツアーの仲間から「よくなさいますね」と何回か言われたという。貞夫さんは、そういう状況に置かれたらだれでもやりますよ、と答えた。あのくも膜下のときの八栄子さんの介護への恩返しの意味もあるかもしれない。 いや、それよりは、学生時代以来、二人して築いてきた信頼関係がもとにあるのだろう。それぞれが自分の趣味を大切に、明るく生きている。それはあるいは、恵まれた介護状況かもしれない。だが、それは二人が長い人生をかけてつくりあげてきたものだ。 |back| |